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選択を残すということ

雑談
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日記を書こうと思う。

どうも最近肉体的にも能力的にも衰えを感じることが増えた。

正確には、35を超えたあたりで、である。

SNSばかり見ているからだろうか。明らかに言語化能力や集中力が落ちている。インプットばかりの生活というのは能力を落とすようだ。

肉体的にはトレーニングも怪我が増えたので無理をしなくなった。柔軟を多めにするようになった。

が、なぜか筋肉が育った。筋肉とは不思議である。

話が逸れた。

自分の今の人生の温度は「適温」である。

快適そのものだ。

しかしふと思い返してみると、日々の生活が記憶に残らない。残っていない。

一通りのことを経験したので「残す必要がない」からなのかもしれないが退屈な日常に感じる。

毎日株はやっている。地合いが悪いので見ているだけの日も多い。もはやなぜこの株を買ったのかも覚えていない株もある。

生活に特に不満はない。

充実はしているが、慣れてしまっているので特に記憶に残らない毎日。

「これでもいいか」と最近までは思っていた。

が、先日身近な人に相談される機会があり、話をしていて気づいた。

「自分の選択した行動は誰かにとっては価値になる」ということ。

自分が何を考えて生きて、何を思ってその行動をしたのか、なぜその選択をしなかったのか、というのは自分にとっては当たり前で残すに値しないのだが、ある人にとっては重要な選択肢の一つだったりする。

前述したとおり今の人生は「適温」だが、「適温」に暮らすための選択肢を選んだからなのであろう。

熱湯の中で生きている人には私の生活はとてもいいものなのだ。

コスパのいい人生というのは「失敗の少ない人生」である。

昔は失敗をしない人生を送るための方法は「本を読むこと」であった。

いろんな人の人生を経験できるからである。

自分は今まで一生懸命生きてきた。

紆余曲折あったが今は金も家も愛する家族もいる。

きっと自分はいい選択をして生きてきたのであろう。

何のテーマも決めていないただ自分のための日記だが、何かの、誰かの役に立てばいいなと思う。

おしまい

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